「弱者を守る」。
政治家や大学教授、評論家、ジャーナリストがよく使う言葉です。
貧困、格差、女性、高齢者、非正規、外国人、基地問題……。
もちろん、本当に困っている人を守ることは大切です。
ただ、ふと思うことがあります。
「弱者を守る」と言っている人自身が、その「弱者問題」を仕事にしていないか?
大学教授として研究し、テレビに出演し、本を書き、講演をする。
「弱者の代弁者」というポジションそのものが、肩書きや収入、影響力につながることもあります。
もちろん、それだけで「弱者を利用している」とは言えません。
しかし、
「弱者のため」と「弱者を語ることで自分も利益を得る」は、両立する可能性があります。
サンデーモーニングを見ていて思うこと
『サンデーモーニング』などを見ていると、政治や社会問題について、似た方向性の意見が並ぶことがあります。
政府批判や社会的弱者の問題を扱うこと自体は悪くありません。
でも、本来なら、
「それは違う」
「別の考え方もある」
という専門家も同じテーブルにいてほしい。
反対意見があってこそ、視聴者は自分で判断できます。
最初から似た思想の人だけで「弱者を守ろう」「政府は問題だ」と議論しても、結局は同じ結論にしかなりません。
宮崎駿氏と辺野古
宮崎駿氏も、辺野古問題ではかなり明確な立場を取ってきました。
2015年には「辺野古基金」の共同代表となり、辺野古新基地建設に反対。
基金についても「永続的にあらゆることをしていく」と発言しています。
その後、辺野古反対を掲げた玉城デニー氏が沖縄県政を担いました。
ところが2026年の知事選では、玉城氏が27万6060票、古謝玄太氏が42万3124票となり、玉城氏は敗北しました。
では、宮崎氏は今回の結果について何かコメントしたのか?
現時点では、確認できる公のコメントは見当たりません。
もちろん、コメントする義務などありません。
でも、
「永続的にあらゆることをしていく」
とまで言っていた人だけに、
「今回はずいぶん静かですね」
と思ってしまうのも分からなくはありません。
「弱者の味方」を疑ってみる
大切なのは、
「弱者を守るな」ではありません。
むしろ、本当に弱者を守るなら、
「私は弱者の味方です」
という言葉より、
その結果、弱者の生活がどう改善したのか
を見るべきでしょう。
誰が得をしたのか。
誰が負担したのか。
政策は本当に効果があったのか。
そして何より、
「弱者を語ることそのものが、自分のブランドや仕事になっていないか?」
という視点は持っておいてもいいでしょう。
象徴的なのが、東京大学名誉教授の上野千鶴子氏です。
女性、貧困、高齢者、介護などについて長年発言してきた一方、自身はタワーマンションに住んでいることを本人が語っています。
これだけで「弱者を利用している」と決めつけることはできません。
しかし、
「弱者を語る人=弱者」
ではないことを考える材料にはなります。
テレビにもある「弱者を語る仕事」
テレビを見ていると、さらに分かりやすい。
例えば『サンデーモーニング』では、政治・社会問題について大学教授、ジャーナリスト、評論家などがコメントします。
現在の番組でも、高市政権の積極財政や国会運営などをテーマに扱っています。
もちろん、政府を批判すること自体は問題ありません。
問題は、
「反対意見を持つ専門家も同じテーブルにいるのか?」
ということです。
賛成派と反対派が議論するなら、視聴者は自分で考えられます。
ところが、出演者の顔ぶれが似た方向の思想に偏ってしまうと、
「専門家がそう言っている」
という形で、番組そのものが一つの方向に誘導する可能性があります。
これは「出演者が悪い」という話ではありません。
異なる意見をぶつける仕組みがあるかどうかという、番組構成の問題です。
そして「辺野古基金」の宮崎駿氏
この問題を考えるうえで、もう一つ興味深い例があります。
宮崎駿氏は2015年、辺野古新基地建設阻止を目的とする「辺野古基金」の共同代表に就任しました。基金の設立総会では、県外からの共同代表として宮崎氏らの名前が発表されています。
宮崎氏はその後、外国特派員協会の会見で、
「辺野古に埋め立ての基地を造ることは反対だ」
と明確に発言。
さらに基金の活動について、**「永続的にあらゆることをしていく」**と語っています。
これはかなり明確な政治的・社会的立場です。
その後、玉城デニー氏は辺野古反対を掲げて沖縄県政を担いました。
そして2026年の沖縄県知事選。
玉城氏は27万6060票。
対する古謝玄太氏は42万3124票。
大差で玉城氏が敗れました。
では、ここで一つ気になる。
長年、辺野古反対を支援してきた宮崎駿氏は、この結果について何かコメントしたのだろうか?
現時点で確認できる範囲では、今回の玉城氏敗北について宮崎氏が公にコメントしたという報道は見当たりません。
もちろん、コメントしなければならない義務などありません。
沈黙する自由もあります。
ただ、
「永続的にあらゆることをしていく」
とまで語った過去を知っているだけに、
「あれ? 今回は何も言わないの?」
と思う人がいても不思議ではないでしょう。
「弱者の味方」は万能カードなのか?
結局、ここで考えたいのは、
「弱者を守るな」
という話ではありません。
むしろ逆です。
本当に弱者を守るなら、弱者を政治的な道具にしてはいけない。
「かわいそうだから」
「弱者の味方だから」
だけで政策を判断するのではなく、
- その政策で誰が助かるのか
- 誰が負担するのか
- 本当に生活は改善するのか
- 別の弱者に負担が移らないか
- 数字や事実で検証できるのか
- 反対意見を聞いたのか
まで見る必要があります。
そして、弱者を語ることで、
テレビ出演が増える。
本が売れる。
講演が増える。
大学での地位が強くなる。
政治的影響力が増える。
――こうした構造があるなら、それも含めて見た方がいい。
「弱者を語る人」ではなく「弱者がどうなったか」を見る
一番大事なのは、ここかもしれません。
「私は弱者の味方です」
という人を信用するかどうかではなく、
その人が弱者のために何をして、その結果、弱者の生活がどう変わったのか。
そこを見る。
そして、
「弱者の味方」を名乗ることによって、誰が一番得をしているのか。
そこも見る。
そうすると、「弱者憑依」という言葉が単なる悪口なのか、それとも社会を考えるうえで使える視点なのかが、少し見えてくるのではないでしょうか。
弱者を守る政治は必要です。
でも、
「弱者を語る人」と「弱者を救った人」は、同じではありません。
そこは、冷静に分けて考えたいものです。


コメント