ダブルスタンダード?元同志社大教授・浅野健一氏、遺族への発言
元同志社大教授・浅野健一氏の発言と活動に潜む「おかしな矛盾」
はじめに
ジャーナリズムの使命とは何でしょうか。国家権力を監視し、不条理に苦しむ「声なき弱者」に寄り添い、その真実を世に伝えること――多くの人はそう答えるはずです。
しかし、元同志社大学教授であり、元共同通信記者のジャーナリスト・浅野健一氏が近年見せる言動は、その本来のジャーナリズム精神から最も遠い場所にあると言わざるを得ません。沖縄県名護市辺野古の工事関連事故で命を落とした方の遺族が綴ったnoteへの投稿に対し、浅野氏が展開している「異論」や「批判」の数々。そこには、目を疑うような激しい「ダブルスタンダード」を感じます。
彼らの活動の背後にある致命的な矛盾について考えてみます。
1. 「親の発信」は咎め、「第三者の介入」は正当化する矛盾
最も不条理であり、怒りを禁じ得ないのは、「当事者であるはずの遺族(親)の発信には異論を唱えながら、部外者である自分たち(第三者)の介入は正当化する」という歪んだ論理です。
凄惨な事故によって突つ然、大切な家族を奪われた遺族が、その深い悲しみや安全管理への疑問を個人の視点から発信することは、人間として、そして被害者遺族として当然の権利です。
しかし浅野氏らは、その遺族の発信が「辺野古新基地反対」という自分たちの政治的ストーリー(国策の犠牲という文脈)に沿わないものであった瞬間、手のひらを返したように批判的な目を向けます。
「本質が見えていない」「私的な感情で大局を曇らせている」と言わんばかりの態度で遺族を諭そうとする一方で、自分たちのような「基地反対運動の関係者や本土のジャーナリスト」という純然たる第三者が、沖縄の現場に口を出すこと、あるいは事故を政治的に利用することは「正義の告発」として全肯定するのです。
これほどの二重基準があるでしょうか。彼らにとっての「当事者」とは、血の通った遺族ではなく、「自分たちと同じ思想を持つ活動家」だけを指すようです。
2. 「表現の自由」を叫びながら「他者の口を封じる」矛盾
浅野健一氏といえば、日頃から「表現の自由」や「知る権利」「権力からの独立」を人一倍激しく主張してきた人物です。2013年には日本基督教団堅田教会にて「“壊憲”の共謀者」と題した講演を行い、当時の政権による特定秘密保護法や憲法改正の動きを「言論弾圧につながる」として激しく弾圧を批判していました。不屈の船長と同じキリスト教です。
「権力による言論封殺の危険性」をそれほど熟知しているはずのジャーナリストが、なぜ、国家よりも遥かに弱者である「一人の遺族の表現の自由」を抑え込もうとするのでしょうか。
ここに、彼らの「表現の自由の私物化」が見て取れます。
彼らが守りたいのは「すべての人の言論の自由」ではなく、「自分たちの思想(反戦・反基地・反権力)にとって都合のいい表現の自由」だけなのです。自分たちの運動の落ち度や都合の悪い真実に繋がりかねない個人の声に対しては、容赦なくその発信を牽制する。これこそが、彼らが最も嫌悪していたはずの「権力的な言論弾圧」の本質そのものではないでしょうか。
3. 「弱者救済」の裏にある、歪んだエリート意識
浅野氏が身内(例えば抗議船『不屈』の船長ら運動関係者)の過失や責任追及には極めて甘く、検証を回避しようとする一方で、被害者側に厳しい論理をぶつける背景には、ジャーナリストとしての致命的な「傲慢さ」があります。
「一般の市民や遺族は悲しみに暮れて物事の構造(政治的背景)が見えていない。だから、真実を見抜く特権を持ったジャーナリストである自分が、社会のために『正しい見方』を教えてやらなければならない」
このような上から目線の指導者意識があるからこそ、遺族の切実な悲しみを「政治的な大義」の前に平気で踏みにじることができるのです。信念に基づいたジャーナリズムであれば、身内の起こした不祥事や事故に対しても、まず徹底的な「誠実な謝罪と客観的な検証」を行うべきです。しかし彼らは、「非を認めれば敵(政権や基地容認派)を利することになる」という自己保身と内輪の論理から、検証を拒み、批判の矛先を外部へとすり替えます。
「大義」で人間性を麻痺させてはならない
どれほど高尚な言葉で「平和」や「人権」を語ろうとも、目の前で涙を流している遺族の尊厳を傷つけ、その声を圧殺しようとする言動に説得力など1ミリもありません。
「大義のためなら、個人の感情や小さな犠牲は二の次でいい」という思考に陥った瞬間、ジャーナリズムはただの「冷酷なプロパガンダ」へと成り下がります。
浅野健一氏が現在行っている遺族への異論・批判は、彼がこれまで掲げてきた「人権」「表現の自由」「ジャーナリズムの正義」という自らの看板を、自分自身の行動で叩き壊しているに等しく、私たちはこの致命的なダブルスタンダードを、冷徹に見つめ続ける必要があります。







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