韓国のロシア領を邪魔した日本:統治・暗殺・条約

いつまで経っても批判を続ける、韓国と北朝鮮。もし統治してたかったらどうなったのか推測してみた。

朝鮮へは日本から莫大な予算が投入されています。有名な話ですが、当時のソウルは掘っ立て小屋の平屋しか無く、後に想像が付かないぐらい近代はされました。「イザベラバードの朝鮮紀行」でググって見れば沢山の写真が出てきます。

– 生没年:1831年~1904年
– 職業:旅行家・探検家・作家
– 代表作:『日本奥地紀行』『朝鮮紀行』『中国紀行』など
– 朝鮮訪問:1894年から1897年にかけて4度訪問し、李氏朝鮮末期の様子を記録

朝鮮半島が日本の統治下に入った背景には、帝国主義的な野心だけでなく、ロシアとの地政学的な対立が深く関わっていました。日本は、朝鮮がロシアの勢力圏に組み込まれることを「国家存亡の危機」と捉え、先手を打つ形で統治に踏み切ったのです。そしてその後、韓国はこの統治を「被害」として語り続けていますが、1965年に締結された日韓基本条約は、その歴史認識に一つの節目を与えました。


🧭 ロシアの南下政策と朝鮮半島の戦略的価値

  • 三国干渉(1895年):ロシアが日本に遼東半島を返還させ、代わりに旅順・大連を租借。
  • 露館播遷(1896年):朝鮮王・高宗がロシア公使館に避難。朝鮮政権が親露派に傾く。
  • 日露戦争(1904–1905年):朝鮮の支配権をめぐる戦争。日本が勝利し、ロシアの影響力を排除。

この流れから見れば、朝鮮がロシアの「準属領」になる可能性は現実的だったと言えます。日本の統治は、ロシアの進出を阻止するための「防衛的帝国主義」だったとも解釈できます。


🏛 伊藤博文:併合に慎重だった男

伊藤博文は初代韓国統監として、朝鮮の外交権を日本に委譲させる一方で、完全な併合には慎重でした。

彼の懸念:

  • 欧米列強との摩擦を避けたい。
  • 朝鮮統治の財政負担を懸念。
  • 朝鮮の近代化を支援し、独立国家として存続させたい。

しかし、1909年に安重根によって暗殺されると、併合反対派のブレーキが外れ、翌年1910年に韓国併合が断行されました。彼は決して日本政府側にいたわけではありません。伊藤博文暗殺によって朝鮮半島の併合が加速したのは誤算だったのかもしれません。

 


📜 日韓基本条約(1965年):被害認識と法的整理

戦後、韓国は日本の統治を「植民地支配による被害」として語り続けましたが、1965年に締結された日韓基本条約は、その歴史的関係を法的に整理するものでした。

主な内容:

  • 1910年以前の条約はすべて無効と確認。
  • 韓国政府を朝鮮半島唯一の合法政府と認定。
  • 日本は韓国に対し経済協力金(無償3億ドル+借款2億ドル)を提供
  • 請求権問題は「完全かつ最終的に解決」されたと明記。

この条約により、韓国は日本の統治を「不法」と見なしつつも、国家間では賠償・補償問題を終結させたことになります。


🧩 それでも「被害者」として語り続ける韓国

視点 韓国の主張 日本の立場
歴史認識 植民地支配による被害と搾取 地政学的防衛と近代化支援
法的整理 日韓基本条約は不十分・不公正 条約で請求権問題は解決済み
感情的継続 被害意識の継承と教育 過去の清算と未来志向

韓国では、日韓基本条約の内容が十分に国民に説明されず、反対運動も激しく、現在でも「被害者意識」が根強く残っています。


🧠 結び:歴史は一面的では語れない

「韓国のロシア領を邪魔した日本」という視点は、単なる挑発ではなく、歴史の複雑さを浮き彫りにします。地政学、外交、暗殺、そして条約。それぞれが交錯し、朝鮮半島の運命を決定づけました。

そして、1965年の日韓基本条約は、国家間の整理を試みた一方で、国民感情の整理には至らなかったのです。歴史は、法と感情の間で揺れ続けています。

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Posted by master