公明党の連立離脱は、守るべき池田大作が亡くなったため?

公明党の連立離脱が世間で騒がれています。
国民民主党、玉木代表が色気を見せてるのか連合の指示なのか、もたもたしてる間に日本維新の会に持って行かれそうになっています。
個人的に中国とのつながりが深い公明党から同じくつながりがある維新に変わっただけのような気がする、、、。

公明党の離脱は裏金などを理由にしてますが、岸田・石破総裁時も出来たはずだし、斉藤党首も裏金があったので、創価学会、または中国の指示とみて間違いないでしょう。また、創価学会は東大派閥(現実に重きを置く連立維持)vs創価大派閥(信仰に重きを置く連立離脱)の対立あり、今回は創価大派閥に押し切られたのでは無いかとも言われている。

池田大作氏の死去がもたらした政治的地殻変動──公明党の再定義と外交史の再評価

2023年、創価学会名誉会長・池田大作氏が死去した。戦後日本の宗教界・政界において圧倒的な影響力を持ち続けた池田氏の不在は、単なる一宗教指導者の死にとどまらず、公明党の政治的立ち位置、そして日本外交の歴史的評価にまで波及する重大な転機となった。

公明党と自民党「守るべき象徴」の消失と連立解消

池田氏の存命中、公明党は自民党との連立を維持し続けてきた。背景には、1990年代に自民党内で浮上した池田氏の証人喚問要求を回避するための「政治的取引」があったとされる。池田氏の存在は、創価学会と公明党の求心力の源泉であり、同時に自民党との関係維持の象徴でもあった。

2025年、公明党は国政選挙での自民党との選挙協力を白紙に戻すと発表。これは事実上の連立解消であり、池田氏の死去が「自民党にへつらう必要性」を消失させたとの見方もある。創価学会内部でも、自民党との関係見直しを求める声が強まっていたことが報じられており、池田氏の不在がその流れを加速させたと考えられる。

日中国交正常化─公明党の「先行外交」と旧田中派の連携

池田氏の影響力は国内政治にとどまらず、外交面でも顕著だった。1972年の日中国交正常化に先立ち、公明党委員長・竹入義勝は北京を訪問し、周恩来首相と会談。いわゆる「竹入メモ」によって、日本政府の意向を中国側に伝え、田中角栄政権の訪中と共同声明につながる地ならしを行った。

この動きは、旧田中派の現実主義外交と公明党の親中路線が戦略的に連携した結果であり、池田氏自身も1960年代から日中関係改善を強く訴えていた。創価学会の国際的ネットワークと公明党の非公式チャネルは、日中間の信頼構築において重要な役割を果たした。

池田氏の不在が意味するもの─政党の再定義と外交史の再評価

池田氏の死去は、公明党にとって「象徴の不在」という空白を生み出した。これにより、政党としての自立性や政策軸の再定義が求められるようになった。自民党との連立維持という「池田路線」からの脱却は、今後の公明党の進路を大きく左右する。

同時に、池田氏が果たした外交的役割──とりわけ日中国交正常化における先導的働きかけ──は、戦後日本外交史の中で再評価されるべき重要な要素である。宗教指導者が政党と連携し、外交の舞台裏で実質的な影響力を行使した事例は、国際政治における「非国家アクター」の可能性を示すものでもある。


池田大作氏の死去は、公明党内の派閥闘争に繋がる可能性もあります。一部では公明党を切り離せという話も出ており、創価学会という宗教団体の未来にも影響が出るかもしれません。

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Posted by master