インタビュー(植松三十里さん)

2018年1月1日

● インタビュー ● 「群青」  植松三十里さん
2011年
20160927close/BOOKSERVISEサイト転記(テキストのみ)

植松 三十里さん(うえまつ みどり)
プロフィール
1954年生まれ。静岡県出身。
東京女子大学史学科卒業後、婦人画報社入社。1980年、退社。
2003年、『桑港(サンフランシスコ)にて』で第27回歴史文学賞受賞。
2009年、『群青 日本海軍の礎を築いた男』で第28回新田次郎文学賞受賞。

植松三十里さん、作品

歴史に埋もれた人の言い分を、代弁したい。

歴史のヒーローは、常に「戦った男」たち。だが、歴史小説家・植松三十里さんの視線は、戦いを止めようとした人、悪役にされた人、評価の低い人に向けられる。
そんな一人を描いた『群青 日本海軍の礎を築いた男』が、新田次郎文学賞を受賞した。

――『群青』の主人公、矢田堀景蔵の名前はあまり知られていませんね。
私は静岡県出身なのですが、学校で郷土史を学んでいる時に、明治になって静岡に移住した旧幕臣たちのことを知りました。歴史小説を書くようになって、彼らのことを調べている内に興味をひかれたのが矢田堀景蔵。幕府の海軍総裁にもなったのに、知られていないのはなぜなんだろうと。短編やノンフィクションで書いたり、研究会で発表したりしたのですが、理解されにくく、長編にするには私の手に余り、そのままになっていました。
それから何年か経って、文藝春秋から「何か歴史物を書きませんか」と言われたのが再挑戦のきっかけです。私も4、5冊本を出した頃で、今なら書き切る力があるかも知れない、日本が上向きの時期には注目されなかった人も、こんな時代なら理解してもらえるかも知れない、そう思って書き始めました。

――彼はなぜ歴史に埋もれてしまったのでしょう。
幕臣は負けた側。名前は残りません。ただ、同じ幕臣でも、勝海舟は「あれもこれも俺がやった俺がやった」と死ぬまで言い続けて(笑)名を残し、榎本武揚は箱館戦争を起こしたにもかかわらず、武士の意地を通したということで評価され、新政府の中で出世しました。
矢田堀は、海軍は戦争や内乱をしかけるためでなく、国を防衛するためにあるという信念を持ち、そのために有為の人を育ててきた人です。しかし、幕府が崩壊して、艦隊を官軍に引き渡す際、部下の榎本に艦隊を乗っ取られてしまった。後に榎本が英雄視されたのに対して、いさぎよくないと思われてしまいます。
矢田堀が業績の割にあまりに顧みられないのを何とかしたかったですね。私は、歴史の中に埋もれた人や、悪役にされた人の言い分を、おこがましいけれど代弁してあげたい、それが小説を書く一番の動機です。

――矢田堀の家族が印象的に描かれています。
私はどの作品でも「家族」を書いていきたい。どんな歴史上の人物にも家族はいて、大きな影響を与えているはずです。でも歴史小説はその多くが男の世界で、女性や家族は陽が当たらない。私が好んで書く陽が当たらない人の家族は、さらに当たらない。
家族に焦点を当てることで、自分のオリジナリティーが出せればいいなと思っています。家族関係が難しくなっている今、歴史小説なら生々しくなく家族を書けます。昔の人もこんなことで悩んでいたんだと勇気を出してもらえればいいですね。

――作品が新田次郎賞受賞という形で評価されました。
実は、『群青』は資料を調べるのも、書きあげるのも大変でした。時間もかかったし、編集者と一緒に作った本という気もします。これで誰かが矢田堀に注目してくれれば十分と思っていましたが、こんなご褒美が待っていたとは…。
私はかつて編集の仕事をしていたので、編集者には特別の思いがあります。小説を本気で書くようになって12年。原稿を持ち込んで“拾ってもらった”と思うこともあったし、本が売れなくて申し訳ないと思ったこともあった。今までリスクを負いながら、それでも面白いと言って本を出してくれた編集者の目が、間違っていなかったことを証明できた気がして、それが嬉しいですね。

――今後はどんな人を「発掘」していきますか。
以前、ある出版社に企画を出した時に、どうしてそんなにジミな人ばかり書くんですか(笑)と言われたことがあります。でも、新人だった私としては、いまさら織田信長とか坂本龍馬を書いてもしょうがない。
いま、静岡新聞で連載しているのは、明治初代文部大臣になった森有礼の夫人・お常の生涯。幕臣の娘で、外交官だった森有礼と結婚して、不倫の末、外国人の子どもを産んだと言われていますが、外交官夫人として不平等条約の改正に力を尽くしたことは評価されていいのでは。
企画として固まっているのは、淀君の乳母・大蔵卿局と、長崎の貿易商・大浦慶。大蔵卿局は豊臣家滅亡の最後の引き金を引いたと言われている人。大浦慶は日本茶輸出貿易の先駆者ですが「男狂いした」とまで言われている人。彼女たちの代弁をしたいと思っています。
頭の中で常に5~6人は意識しています。資料や本が集まると、頭の中の樽に入れていく。樽がいっぱいになった人から企画を立てていきます。
やはり歴史の中で陽が当たらない人が多いですね。