ドジャース戦 韓国メディア「誤審ありがとう!」
⚾疑惑の判定と“被害者意識”の美学──ドジャース敗戦から考えるスポーツと報道の在り方
2025年9月12日、サンフランシスコで行われたナ・リーグの一戦。ドジャースはジャイアンツに1-5でサヨナラ負けを喫しました。延長10回、タナー・スコット投手が満塁本塁打を浴び、試合は劇的な幕切れとなりました。
しかしこの試合、勝敗以上に注目されたのは“疑惑の判定”です。10回1死三塁、韓国出身の李政厚(イ・ジョンフ)の打席で、空振り三振とされたスライダーが、三塁塁審の異議により「地面に落ちた」としてファウルに覆されました。結果的に四球で出塁し、満塁策を取ったドジャースは次打者ベイリーにグランドスラムを浴びることに。
ドジャースのロバーツ監督は「リプレーを見る限り、地面には付いていなかった。大きなアウトだった」と冷静にコメントしましたが、韓国メディア「OSEN」は「誤審ありがとう!」という見出しで報道。まるで“誤審が勝利を呼び込んだ”かのような論調に、違和感を覚えたファンも少なくないでしょう。
🧠「被害者であり続けたい」その感覚に疑問を
この報道姿勢に、筆者はある種の“被害者意識の美学”を感じます。韓国メディアは、スポーツの場面でも「不利な状況からの逆転劇」を強調し、まるで自国選手が理不尽な扱いを受けたかのように描く傾向があります。もちろん、判定に異議を唱えるのはスポーツの一部ですが、それを「誤審ありがとう」とまで言い切るのは、勝利の価値を自ら貶めているようにも見えます。
歴史や外交の文脈でも、韓国が「被害者であり続ける」ことに執着しているという指摘は少なくありません。それが正義の主張であるならば尊重されるべきですが、スポーツのフィールドにまでその姿勢が持ち込まれると、純粋な競技の魅力が損なわれるのではないでしょうか。
🌍スポーツはフェアであるべき
今回の試合は、山本由伸が7回1失点の好投を見せ、大谷翔平も3四球を選ぶなど、ドジャースの日本人選手たちも奮闘しました。それだけに、判定ひとつで流れが変わることの重みを痛感させられます。
スポーツは国境を越えて人々をつなぐ力を持っています。だからこそ、報道もまたフェアであるべき。勝利に酔いしれるのは構いませんが、それが“誤審のおかげ”という論調になると、スポーツマンシップの本質が問われるのではないでしょうか。
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