遺族のnote、沖縄タイムス磯野直氏の公演について思うこと。
これは平和学習か、それとも思想の押しつけか?
相も変わらず、情報源は遺族のnoteと産経新聞、一部週刊誌ぐらい。※ABCテレビが辺野古の事故の特集を組んだとのことですが、、、。
同志社国際高等学校「平和を作り出す人」の記録から遺族がブログにて紹介しています。沖縄タイムス磯野直氏と生徒とのQAがダブルスタンダードに思えます。
平和学習と言うよりも思想の押しつけにしか感じなかったのは自分だけでしょうか。
磯野氏の回答ロジックには「法の支配」に対する一貫性の欠如(ダブルスタンダード)があるのでは?
その理由は、主に以下の3点に集約されると考えられます。
1. 違法の定義を「心情」と「形式」で使い分けている
最も顕著な矛盾は、生徒の問いに対する「物差し」の切り替えです。
自陣営に近い行動(基地反対派)に対して:
「良心を保つため」「気が済まなかった」「バックボーンがある」という心情・情緒的背景を持ち出し、実定法上の違法性を相対化(あるいは回避)しようとしています。ここでは「法よりも正義(良心)が優先される」という自然法的な立場、あるいは抵抗権に近い論理を暗に用いています。
対立する主体(米軍・国)に対して:
普天間の接収を語る際には、一転して「国際法(ハーグ陸戦規程)違反」という形式的・法的な正義を絶対的な根拠として持ち出し、「無条件返還されるべき(=代替案を求めるのは違法)」と断じています。
自分たちが批判する対象には「厳格な法適用」を求め、自分たちが共感する対象の違法行為には「背景事情による免罪」を求める姿勢は、論理的な一貫性を欠いていると評価せざるを得ません。
2. 事実確認(エビデンス)に対する態度の非対称性
賛成寄りの立場から質問した生徒は、具体的な数字や複数の根拠(ロードマップ、特定区の民意、メディアの報道)を提示して、非常にフェアな対話を試みています。
これに対し、磯野氏は「信憑性がわからない」と、生徒が提示した具体的数字を門前払いする一方で、自身の主張の根拠となる「国際法違反」という解釈については、複雑な歴史的・法的議論(戦後処理やサンフランシスコ平和条約等との整合性)をスキップして、絶対的な真理であるかのように提示しています。
ジャーナリストという「事実」を扱う職業でありながら、「都合の悪い数字は疑い、都合の良い法解釈は断定する」という姿勢が見えます。
3. 「バックボーン」の比較放棄
質問文でも指摘されていますが、1960年代の米軍統治下(基本的人権が制限され、法治主義が不十分だった時代)の労働者の抵抗と、現代の民主主義社会における反対運動を、同じ「バックボーン」という言葉で括ることには無理があります。
当時の労働者: 抵抗の手段が限られていた極限状態。
現代の運動: 言論の自由、選挙権、司法へのアクセスが保障されている状態。
生徒は「今も違法行為で良心を果たすことは正しいのか」と、この時代背景の違いによる正当性の変質を問うていますが、磯野氏はこれに真正面から答えず、教師の制止によって議論が終了しています。
まとめ、これが平和学習?
客観的に見て、この記録における磯野氏の対応は、「法を規範(ルール)として扱う場面」と「法を武器(方便)として扱う場面」を、自身の政治的立場に基づいて恣意的に選択しているように見えます。
生徒側が「法律で禁じられていることをすること(違法行為)の是非」という普遍的な道徳・法哲学的問いを立てているのに対し、記者が「情」と「一部の法解釈」を使い分けて煙に巻いた形になっており、対話として成立していない。ダブルスタンダードが論理的に妥当なものと言えます。
また、教育の場において、こうした偏りのある議論が「総括」として無批判に記録されていることに対し、違和感を抱くのは自然な反応だと思われます。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません