おつかれさまです。

全日本学生自治会総連合(全学連)とは?昭和との違い

全日本学生自治会総連合がYouTubeなどで拝見しましたが、昭和の過激な学生運動以降、まだ活動してることに驚きを感じました。整理してみます。
昭和の学生運動期に活動していた学生は「一般企業」には入れなかったという現実があり、事実として多くの「元・学生運動家」たちが卒業後、新聞社、テレビ局、出版社といったマスコミ業界へ進みました。「報道しない自由」の確立や偏向報道もこれらが、現在の日本のマスコミ(特にオールドメディア)の「骨組み」や「体質」を作ったと言っても過言ではありません。

これには、当時の社会状況やマスコミという業界の特殊性が大きく関係しています。

全学連の正体 — 理想の裏側に潜む「利用される若者」の現実

かつて日本中を揺るがした「学生運動」。その中心にいたのが全日本学生自治会総連合(全学連)です。最近ではネット番組などで過激な主張をする若者が話題になっていますが、彼らは一体何者で、どこへ向かおうとしているのでしょうか。

全学連の歴史的な背景から、現代における彼らの立ち位置、そして参加する若者が直面するメリット・デメリットについて考察します。

1. 全学連の歴史と「分裂」の果て

全学連は、戦後間もない1948年に「学生の権利を守る」ために結成されました。1960年代の安保闘争では、数十万人規模のデモを主導するほどの影響力を持っていました。

しかし、運動が激化するにつれ、内部で激しい主導権争いが起こります。その結果、支持する政治団体(セクト)ごとに組織が分裂しました。
中核派系: 現在も街頭活動やネット露出に積極的。
革マル派系: 独自の理論構築を重視。
民青系(共産党系): 比較的穏健な活動。

私たちがニュースやSNSで目にする「過激な全学連」の多くは、この中の特定のセクト(主に中核派系)に属する人々です。

2. 現代の立ち位置:社会からの「孤立」と「演出」

昭和の学生運動が「大衆運動」だったのに対し、現代の全学連は極めて「閉鎖的なコミュニティ」になっています。
現在の彼らの主な活動は、沖縄の基地反対運動への介入や、メディア出演を通じた自説の流布です。しかし、そこには一般の学生や市民との大きな温度差があります。

3. 活動に参加する「メリット」と「デメリット」

もし、現代の若者が全学連に身を投じた場合、どのような現実が待っているのでしょうか。

メリット(本人の主観)
・強烈な居場所(共同生活)
・選民意識、組織による最低限の生活保障

デメリット(客観的現実)
・キャリアの断絶(大手企業への就職不可)
・逮捕・前科リスク
・一般社会からの孤立

多くの若者が「社会を良くしたい」という純粋な正義感から足を踏み入れますが、その代償は一生を左右するほど重いものです。

4. 誰が「歯車」を回しているのか?

ここで考えなければならないのは、「若者は本当に自分の意思で動いているのか」という点です。

現場で逮捕されたり、実名を晒して批判を浴びたりするのは常に若者です。しかし、その背後で戦略を立て、資金を管理し、理論を吹き込んでいるのは、昭和の学生運動を生き残った「大人たち」です。
反日的な文脈への利用など日本の弱体化を望む勢力にとって、彼らの活動は絶好の「道具」になります。
組織の延命のため、老いゆく活動家たちは、組織を存続させるための「新しい血(労働力)」として若者を求めています。

若者たちは「革命」を夢見ていますが、実態は「特定の政治団体や外部勢力の利権を守るための歯車」として消費されている側面が否定できません。

私たちが知るべきこと

SEALDsがそうであったように、メディアが作り出す「若者の熱狂」には常に裏があります。
全学連の活動も、一見すると情熱的に見えますが、その実態は「大人たちが敷いたレールの上でのパフォーマンス」に過ぎないのかもしれません。

真に社会を良くしたいと願うなら、誰かの用意した「過激な言葉」に乗るのではなく、現実を見据えた一歩を踏み出すことが、今の日本には必要なのではないでしょうか。

結びに、民主主義国家の日本。法を守れば個人の思想は制限されません。若者たちに幸あれと願います。

がんばりましょう。

日本国内

Posted by master